マイクロバイオーターは単なる「腸内細菌の集まり」ではありません。
腸内に棲む細菌や真菌は、単に「間借り」をしているのではなく、人体と緊密なコミュニケーションを取り、ヒトの健康のあらゆる側面に直接、間接に影響を与えています。
前回の記事では、「忘れられた器官」マイクロバイオーターが食べ物と反応して化学物質を生み出し、人体機能に影響を及ぼしていることを、栄養学の観点から解説しました。
今回はヒトとマイクロバイオーターの関係性を、もっと深く、遺伝子学の観点から考えてみます。
ヒトと細菌の共生関係
私たちとマイクロバイオーターは共生関係にあります。
「共生」とは、2種類以上の生物が、同じ場所で協調的な関係を持つことを意味します。ギブアンドテイク、もしくはウィンウィンの関係といえばイメージしやすいかも知れません。
たとえば人体は、野菜に含まれる食物繊維を自力で分解する酵素を持っていません。しかしマイクロバイオーターが機能することで食物繊維の分解が進み、私たちの腸管で吸収できるようにしてくれるのです。
人体の機能は、決して万能ではありません。見えないところでマイクロバイオーターの恩恵を受けています。
それどころか、マイクロバイオーターなしでは、私たちの生命活動がそもそも成り立たないのです。
遺伝子学的に見たマイクロバイオーター
私たち人間が持つさまざまな生理的機能は、すべて遺伝子によって規定されています。それは遺伝子学では「セントラルドグマ」と呼ばれ、例外はあり得ないと考えられてきました。
遺伝子は「ゲノム」ともいいますが、マイクロバイオーターが持つ「食物繊維を分解する消化酵素」は、マイクロバイオーターが持つゲノムが規定しています。逆にいうと、「食物繊維を分解する消化酵素」を持たない私たちは、その機能を持つゲノムを持っていないということです。
マイクロバイオーターの持つ遺伝子(ゲノム)のことを「マイクロバイオーム」と言います。
つまり、
ということです。
・マイクロバイオーターが持つゲノム(=マイクロバイオーム)は、ヒト・ゲノムが持っていない機能を果たしてくれている。
・ヒトは、マイクロバイオーターの持つゲノムで、自分のゲノムに欠けている遺伝子を補っている。
と言い換えることができます。これが、遺伝子学的にみた「共生」の意味です。
ヒトゲノムプロジェクト
「ヒトゲノムプロジェクト」をご存知でしょうか。
ヒトのゲノムの全塩基配列(シークエンス)を解析しようとするプロジェクトで、2003年に完成しました。
人間のゲノムの全配列が明らかになれば、人間の生命の神秘が全て解明されると期待されていました。このプロジェクトは、科学的にも医学的にも画期的でしたが、その結果は予想を大きく裏切るものでした。
プロジェクトが進むにつれ、遺伝的に決定されている要素はわずかにすぎず、身体の在り方は「環境要因」によって後から決まるとわかってきました。ヒトゲノム情報は必ず発現するのではなく、遺伝子を取り巻く「環境要因」によって発現するかどうかが左右される、ということです。
「ヒトの存在は、ゲノムの所産だけに由来していない」というということが分かってきたのです。
私たちの遺伝形質の発現が、周りの環境要因の影響を受けるというこの概念を、「エピジェネティクス」といいます。
マイクロバイオーターやその遺伝情報であるマイクロバイオームは、私たちの持っているゲノムに大きな影響を与える存在だとわかってきています。生命の神秘をすべて解き明かすと考えられていたプロジェクトは、さらに大きな神秘への入り口にすぎませんでした。
マイクロバイオーターの海に浮かぶヒトゲノム
ヒトゲノムプロジェクト終了後の2008年、アメリカ国立衛生研究所(NIH)が、「ヒト・マイクロバイオーム・プロジェクト」を新たに始動させます。
このプロジェクトの目的は、人体と深いかかわりのあるマイクロバイオーターについて知ることでした。結果、ヒト自身の遺伝物質は、すべてのマイクロバイオーターの遺伝物質のわずか100分の1ほどにすぎないということが判明しました。
私たちのゲノムは、実にその100倍ものゲノムに囲まれているのです。マイクロバイオーターのすべてのゲノム情報が、私たちに直接の影響を与えているわけではないでしょうが、それにしても私たち人間のゲノムが、これほどの大量のゲノムに囲まれて成り立っているという事実に驚かされます。
さらに、私たちは一人ひとりが指紋と同じように固有のマイクロバイオーターを持ち、私たちそれぞれの「体質」や、さまざまな病気のかかりやすさにも影響を与えるとわかってきました。
つまり、個人それぞれのマイクロバイオーターの特徴によって、「糖尿病になりやすい人となりにくい人」とが存在するということです。
今までいわれてきた「病気は遺伝的素因に左右される」という説は、非常に限定的であったということが分かってきました。私たちがよく口にする「体質」というのが、私の持つ遺伝子だけではなく、マイクロバイオーターの性状の影響を大きく受けているということです。
21世紀の医学の展望
近年、非常に多くの研究者がマイクロバイオーター、あるいはマイクロバイオームの研究に心血を注いでいます。医学研究の上でも非常にホットな領域なのです。
では、上記の事実は医学的にみてどのような意味を持つでしょうか。
マイクロバイオーターは私たちの身体の状態に影響を与えるため、マイクロバイオーターを変化させれば、マイクロバイオームを戦略的に管理できるようになる可能性は高いのです。実際に、日本国内でも、各種疾患とマイクロバイオームとの関係についての研究が行われており、マクロバイオームをコントロールすることで、疾患を改善させる治療が現実のものになりつつあります。
例えば、糖尿病や高血圧などの生活習慣病とマイクロバイオームとの関係が明らかになれば、糖尿病になりにくいマイクロバイオームに調節することで、糖尿病の発症を抑えるという治療が可能になるのです。
「病気の人のマイクロバイオームを変えて行う治療」が、単なる夢物語ではなく、現実のものになってきています。マイクロバイオームの研究は、これからの医学のあり方を根本的に変える可能性を持ち、「たかが腸内細菌ではないか」と軽視できない、新たな分野の研究・開拓がどんどん進んでいるのです。
21世紀の医療で病気の治癒や健康維持を考えるとき、個人の持つマイクロバイオームの状態を無視しては成り立たなくなるでしょう。
まとめ
私たちが分解酵素を持たない食物繊維が、マイクロバイオーターの介在によって分解・吸収できるようになる例からもわかるように、マイクロバイオーターと人体は共生の関係にあります。マイクロバイオームというのはマイクロバイオーターの持つ遺伝子のことですが、自分のゲノムに欠けている遺伝子を補っています。これこそが「共生」で、マイクロバイオーターなしでは私たちの生命活動がそもそも成り立ちません。
ヒトの体内環境はすべてヒトゲノムによって決まると考えられてきましたが、最新の研究では、病気などの遺伝子情報が発現するかどうかは、後天的な「環境要因」に左右されるとわかり始めてきました。
その環境要因に深くかかわるのがマイクロバイオーターです。マイクロバイオーターは単なる細菌の集合体ではなく、ヒトの遺伝子が発現できるかどうかを決める重要な存在でした。今後の医学界においても注目に値する研究であり、マイクロバイオーターが未来の病気治療を変えるといっても過言ではないでしょう。
執筆者プロフィール
医療法人全人会理事長、総合内科専門医、医学博士。京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院、京都大学附属病院消化器内科勤務を経て、2013年大阪市北区中津にて小西統合医療内科を開院。2018年9月より医療法人全人会を設立。