これまで、腸内フローラが私たちの健康に思っている以上の影響を与えるということを見て来ました。その先にある、究極的な治療法として、最近、「糞便移植」に注目が集まって来ています。
糞便移植とは、健康な人の腸内細菌を、治療目的で患者さんの消化管に移植し、健康効果を期待する治療法です。
正式名称はfecal microbiota transplantation (FMT)で、便微生物移植、腸内細菌療法などとも呼ばれます。潰瘍性大腸炎やクローン病などの難病から、アレルギー症状の改善やダイエットまで、広く効果が期待されるとして、日本でも取り入れる医院が増えてきました。
糞便移植に注目が集まるのは、腸内細菌の働きが広く認められてきた証でもあります。しかし安易なブームを危惧する声も出ています。
今回は、アメリカの症例を参考に、糞便移植の可能性と危険性について解説してみます。
偽膜性腸炎の治療に効果が見られたFMT
まず、アメリカでの、偽膜性腸炎の症例に糞便移植をした報告をご紹介します。
偽膜性腸炎とは、クロストリディウム・ディフィシルという菌が原因で起こる日和見感染症のひとつです。日和見感染症とは、抗生剤の大量、あるいは長期使用により、正常な腸内フローラ(つまり、マイクロバイオーター)が撹乱され、もともとは病原性のない菌が原因となり、重篤な症状を起こすケースがみられる病気です。
治療としては、原因となる抗生剤をすぐに中止し、重症例ではバンコマイシンという別の種類の抗生剤を投与します。
アメリカでは、この偽膜性腸炎(クロストリディウム・ディフィシル菌感染症)で死亡する人が1万人以上に及び、重症化すると予後は不良とされてきました。それが、糞便移植治療により劇的に予後が改善されたのです。
糞便移植の方法にはいくつかのバリエーションがありますが、健康な人の便中にある正常腸管フローラを溶かした溶液を、経肛門的に注入します。決して糞便を直接注入するわけではありません。
この糞便微生物移植が適応されるようになってから、アメリカでの偽膜性腸炎による死亡率が劇的に下がりました。マイクロバイオーターの調節で病気改善が見込めるという説が、立証された事例です。
体重増加、感染症、死亡のリスク
しかし、決していいことばかりではないようです。以下の文献に、この偽膜性腸炎に対して糞便微生物移植を行なった症例が書かれています。
アブストラクトを要約すると、「移植する便を提供した人(ドナー)に肥満傾向があったところ、移植後に移植を受けた人(レシピエント)が、偽膜性腸炎は治ったものの、太り始めた」というものです。
以前も書きましたが、同じ食事を摂っていても太りやすい人と太りにくい人に分かれるのは、マイクロバイオーターの環境の差が大きな要因となっています。その太りやすいという「体質」が、糞便微生物移植で移ってしまったというのは、衝撃的な事実です。
他にも、アメリカの症例からは、「糞便微生物移植をしてもあまり症状が改善しかなった」「発熱、痛み、むくみなどの副作用が認められた」などの報告があがっています。
糞便移植は、決して、100%安全で、100%効果のある治療法ではありません。
糞便移植で多少太った程度であれば、まだ大きな問題はないのですが、死亡例も報告されています。
2019年6月、糞便移植をした後に感染症で死亡した例がアメリカで報告されました。
米食品医薬品局(FDA)によると、臨床試験で糞便移植を受けた患者のうち2人が、多剤耐性菌に感染し、このうち1人は死亡したそうです。これを元に、FDAは糞便移植に対して警告を出しています。
参考サイト:「糞便移植で感染症による死亡例、米FDAが警告」
当然、この例がすべて当てはまるわけではありません。しかし、より慎重さが求められるようになるでしょう。
糞便移植の今後の可能性
糞便移植は、これまで投薬や手術でしか治療できなかった病気の治療を、変える可能性がある医療技術です。それは、腸内環境を整えることで症状が改善する例をたくさん見てきた私としては、確信を持って言うことができます。
一方で、予測できない「副作用」が起こるリスクは、まだまだ大きいのです。未知の感染症にかかる可能性、そして最悪死亡する可能性も否定できません。
さらに、ドナー(便を提供する側)にとっては病原性のないマイクロバイオーターであっても、レシピエント(便の提供を受ける側)では病原性を発現する可能性があります。そういう場合は、単に既知の感染症のチェックだけでは防御しきれないのです。どのような腸内細菌が、どのような人にどのような影響を与えるのかについては、まだまだ未知の部分が多いということです。
FDAが糞便移植に実験薬剤と同様の規制を行い、現時点では適応を偽膜性腸炎だけに限っているのも、そういった理由によるものと思います。
「心臓移植を受けたら、ドナーの記憶まで移ってしまった」などという、細胞記憶といわれる事象がモチーフとなった映画や小説はたくさんありますが、同じようなことが、腸内細菌の移植によって起こりうる世界がくるかも知れません。
安易なブームに警鐘
増えてきた症例を見るにつけて、糞便移植は、一種のブームに乗って行うような治療ではないと、強く思います。今後、厳格な臨床研究を積み重ね、慎重に適応症例を決めていかなければ、その技術の可能性までもが失われてしまいます。
マスコミにも取り上げられ、民間の病院でも取り組み始めているところが出てきていますが、私は、安易に適応を広げることは慎まなければいけないと考えています。たとえば「ダイエットのために、痩せた人の糞便の移植を受ける」などの行為には、大きなリスクが伴います。
マイクロバイオーターが人体に及ぼす影響は、はかり知れません。しかし、その力がまだ未知数のうちに医療として利用してしまえば、制御できないリスクにさらされて当然でしょう。
安易なブームに乗って、副作用を起こす患者さんが生まれないことを願うとともに、マイクロバイオーターの可能性を正しく医療に応用できる技術の進歩を期待したいところです。
まとめ
健康な人の腸内細菌を移植する「糞便移植(FMT)」が、マスコミで取り上げられるようになり、推進する医院も増えてきました。アメリカでは偽膜性腸炎の治療に糞便移植が大きな効果を上げており、マイクロバイオーターのコントロールが難病の治療に役に立つことが、実証されつつあります。
しかしFMTでは、重い感染症や死亡例も報告されています。現状、一般の医院で行うことには大きなリスクが伴います。ブームに踊らされず、臨床研究を積み重ね、マイクロバイオーターの力を正しく理解し使えるようになるまで、安易な行為は慎む方が賢明でしょう。
執筆者プロフィール
医療法人全人会理事長、総合内科専門医、医学博士。京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院、京都大学附属病院消化器内科勤務を経て、2013年大阪市北区中津にて小西統合医療内科を開院。2018年9月より医療法人全人会を設立。